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コラム

欲望の30分を、ブラウザーの3Dで1コマずつ描く『肥大する欲望 ― The Great Appetite』制作解説

一つの細胞が「食べたい」と思った日から、欲望は生命を進化させ、文明を育て、資本主義という最高の相棒を得て、止まれない機械になった。その機械の内側で、一人の人間はどう朝を迎えればいいのか。30分のエッセイアニメの作り方を、場面と技法ごとに解説します。

『肥大する欲望 ― The Great Appetite』は、29分31秒の映像作品です(エンドクレジットを含めて30分27秒)。語り手は欲望そのもの、「渇き」という名の声です。前作『加速する夢 ― The Great Acceleration』と同じ世界観と制作の土台で作った2作目ですが、続きものではないので、こちらから見ても大丈夫です。

前作が「変化は加速している」という事実を描いたのに対して、今回は「その加速を動かしてきたエンジンは何だったのか」を描きました。答えは欲望です。ただ、欲望を悪者にする話にはしたくありませんでした。欲望は生き物を進化させ、人類を豊かにしてきたエネルギーです。そのうえで、豊かになった私たちがなぜ満たされないのか、そして一人の人間には何ができるのかを、10の章でたどります。

映像はすべて、ブラウザーの Three.js で描いて、1コマずつ書き出しています。43,855コマです。絵の中には、私が作っている映像表現の図鑑「FRAME ATLAS」に載せた技法を、意識してたくさん取り入れました。この記事では、場面ごとに、使った技法を FRAME ATLAS の動く標本で並べています。

標本の見方:標本はその場で動き、名前や説明の部分から FRAME ATLAS の詳しいページへ移れます。詳しいページでは、速さや強さを変えたり、変化の前後を見比べたりできます。標本の上の印は、● 本編と同じ仕組み(本編もこの仕組みで作った)と、○ 見た目の参考(本編は別の簡単な方法で、似た見た目を作った。様式は色と形を簡略に写した)の区別です。この作品の技法の組み合わせは、ほかのテーマでも使える形に一般化して、FRAME ATLAS のレシピ「エッセイアニメ」にまとめました。

01どんな作品か

作品は、観客を4つの段階に連れていく構成にしました。

  1. 欲はエネルギーだった(序〜第3章)。食べたい、生き延びたい、あいつのようになりたい。欲は生き物の進化と発達を動かしてきました。
  2. 資本主義は欲と相性がよすぎた(第4・5章)。資本主義は欲を、生産と技術の進歩に変えました。極度の貧困は減り、寿命は延びました。その一方で、富は富を呼び、成長をやめた者から脱落するゲームは、降りることを許しません。
  3. 欲は工業製品になり、手に入れても満たされるとは限らない(第6・7章)。数字を追うほど、脳に「欲しい」を出させる刺激が大量に作られます。けれど、手に入れた喜びには慣れていき、所得が増えても満足度は所得ほどには上がりません。手に入れるたびに、基準のほうが動くからです。
  4. 社会全体は止められない。けれど一人の朝は選べる(第8章・終章)。最後に、話は一人の朝の食卓に降りてきます。

全編を通すモチーフは「口(くち)」、つまり穴です。最初の細胞が他の細胞を飲み込む口、喉が針のように細く腹だけが膨れた餓鬼の口、穴あき銭の四角い穴、画面という口、そして最後の、龍安寺のつくばい「吾唯足知(われ、ただ足るを知る)」の中央の四角い水穴。語り手の「渇き」も、口と糸の形をしています。

もう一つ、全編を一本の糸が描いています。ある場面の絵が一本の線にほどけて、別の絵を描き直す。そうして章と章を切れ目なくつなぎました。

02作り方の全体

制作は Claude Code と一緒に進めました。私が方向を決め、Claude Code がコードを書いて書き出し、私が書き出した映像を見て直してほしいところを伝える、という往復です。工程は次のとおりです。

工程やったこと道具
企画主張、4段階の構成、10章の章立て、モチーフ(口と糸)計画書(Markdown)
テンポマップ章ごとの BPM・拍子・小節数を先に決める(60〜174 BPM)JSON と Python
絵コンテ77ショットを小節に割り付ける。各ショットに FRAME ATLAS の技法 ID を書く章ごとの Markdown
キーフレーム1ショット1枚の「見た目の目標」gpt-image-2(OpenAI)
アニマティック仮の声と拍のクリックで、全編の尺と台詞の位置を決めるPython、ffmpeg
ルック開発章ごとに 3D の場面を作り、書き出して確かめる(v01〜v10)Three.js
書き出しブラウザーで1コマずつ描いて JPEG に(43,855コマ)Playwright、Chrome
音曲と効果音をコードで合成。声は全90行を TTS でPython、Gemini TTS(Google)
公開日英の字幕、エンドクレジット、YouTube 用の書き出し、サムネイルffmpeg、Three.js

大事にしたのは同じ時刻には同じ絵が出ることです。乱数も時計も、コマの番号から決めています。そのため、30分のうちの一部の場面だけを描き直して、前後のコマとつなぐことができます。ただし、前のコマの絵を重ねていく映像フィードバックの場面は、前のコマに依存します。途中から描くときは、2秒前から描き進めて状態をそろえています。直したい場面だけ書き出して確かめ、まとめて全編を書き出す、という進め方ができたのは、この性質のおかげです。

03全編に通した決まり

拍がすべての時計

今回いちばん大きく変えたのは、音楽のテンポを先に決めて、映像をそれに合わせたことです。普通は映像に合わせて曲を作りますが、この作品では欲望と快楽の話をするので、音楽そのものを「ドーパミンの教材」にしたいと考えました。拍の頭で何かが起きる、と体が覚えると、次の拍を待ちはじめます。その「待つ」感覚を、作品のテーマと重ねています。

章ごとにテンポを決めて、序の 60 BPM(心臓の拍)から、第6章の最後の 174 BPM まで上げていきます。そして終章で、拍のない朝に戻ります。絵コンテのショットは秒ではなく小節で数え、時刻はテンポマップから計算して書き込みます。曲の尺を直せば、絵コンテも映像も一緒に動きます。

映像の側では、拍の頭で跳ねて落ちる動き(ビートパルス)と、跳ね方の速さと消え方の速さ(アタックとリリース)を、全編の共通部品にしました。

本編と同じ仕組み
本編と同じ仕組み

もう一つの時計がコマ打ちです。出力は 24fps ですが、多くの章では絵の動きを 12fps にして、同じ絵を2コマずつ見せています。手描きアニメの「2コマ打ち」です。章ごとに、拍の長さがちょうど整数のコマになる数を選びました。序と第2章は 8fps(3コマ打ち)、刺激が最大になる第6章と、現実の朝に戻る終章は 24fps です。たとえば 120 BPM の1拍は、12fps の絵ではちょうど6枚(24fps の出力では12コマ)なので、拍の頭は必ず絵の切り替わりに来ます。動きがなめらかすぎないことで、絵が「描かれたもの」に見えます。拍で跳ねる動きだけは、コマ打ちの前の時刻で計算して、拍に遅れないようにしています。

本編と同じ仕組み
本編と同じ仕組み

一本の糸がほどけて、次の絵を描く

章のつなぎ目には、ほとんどの場合「糸ほどき」を使いました。前の絵の輪郭を一本の経路にして、拍ごとに少しずつほどき、ほどけた糸が次の絵を描き直します。仕組みは単純で、前後の形を同じ点の数の一本の線にして、点の番号の順に移していきます。字の輪郭は opentype.js で書体から取り出しています。

本編と同じ仕組み
本編と同じ仕組み

カメラが物に寄っていき、その中へ抜けると別の場面になる「寄って抜ける」つなぎも多用しています。たとえば第3章の最後、銭の四角い穴へ寄って抜けると、第4章の工場です。抜ける前と後で、画面の中心を合わせておくのがこつです。

本編と同じ仕組み
本編と同じ仕組み

トゥーンの 3D に、主線と粒子

見た目の基本は、3段階のベタ塗りで陰影をつけるトゥーンです。主線は、立体を法線の方向に少し膨らませた裏側を黒で描く方法(インバーテッド・ハル)で引いています。最後に、2コマごとに変わる粒子(フィルムグレイン)を画面全体にかけて、デジタルのつるっとした感じを消しました。

本編と同じ仕組み
本編と同じ仕組み
本編と同じ仕組み

人や動物、手、部屋などは、3D で組むと人形のように硬くなってしまいました。そこで途中から、gpt-image-2 で描いた静止画を、背景・人物・物の層に分けて重ねる方法に切り替えています。書き割りを奥行き方向に並べるマルチプレーン撮影の考え方です。走る人の動きは、半歩ずつ描いた2枚の絵から8コマを切り出して、走りの周期にしました。

本編と同じ仕組み
見た目の参考

章題は、絵の中の物から生まれる

章題は、画面に文字を重ねて出すのではなく、絵の中の物が字の形になるようにしました。どの章も、少し見ていると「あ、字になった」と気づく作りです。

章章題現れ方
序口泡が寄り集まる
第1章渇き乾いた大地に、地割れが字を描く
第2章真似る猿洞窟の手形の群れ
第3章余り牛が食べ残した藁
第4章大いなる富GDP の曲線がほどけて字になり、煙突になる
第5章赤の女王流れるチェス盤の上の、赤いマスの字
第6章超正常刺激偽の卵が割れて飛び出す
第7章回し車回る車のスポークが止まって見えた瞬間
第8章業尾を噛み合う三匹の体が字画になる
終章足る銭形がつくばい「吾唯足知」になる

ただ、絵の中の字は一瞬で消えるので、どの章にいるのかがわかりにくくなります。そこで、章題が絵の中に現れたあと、画面の左上に小さく章の名前を数秒だけ出すことにしました。

序口 ― Mouth

原始の海と、最初の口0:16–1:28

暗い海の中を、細かな泡が渦に乗って漂う
0:30暗い海。泡が渦に乗ってゆっくり漂う

作品は完全な暗闇から始まり、原始の海へ移ります。泡は、たくさんの粒をまとめて描くパーティクルです。動きは、ゆっくり昇りながら、ゆるい渦に乗るように、三角関数を重ねた軌道で決めています。渦を巻く流れの場(カールノイズ)を思わせる動きを、時刻だけで決まる簡単な式で作りました。

本編と同じ仕組み
見た目の参考
泡が集まって四角い字「口」と英題 Mouth を形作る
0:52最初の拍で、泡が「口」に集まる
肉色の喉の奥へ寄っていく
1:20口の奥の喉へ。第1章の大地につながる

最初の拍と同時に、泡が粘液のように引き寄せ合って「口」の字になります。字の輪郭の上に点を並べ、泡をその点へ寄せています。字の真ん中の四角が開くと、それが細胞の膜の口になり、漂ってきた細胞を包み込んで閉じます。飲み込むときに膜がつぶれる動きは、スクワッシュ&ストレッチです。最後に、口の奥の喉へ寄って抜けて、第1章へ入ります。

本編と同じ仕組み

前に出た標本:モーフィング

わたしは、渇き。渇きの最初の台詞(00-05)

第1章渇き ― Thirst

地割れの字1:28–1:49

真上から見た乾いた大地に、地割れが「渇き」「Thirst」の字を描いている
1:48カメラが真上に着くと、地割れが字の形に走る

喉の内壁が乾いてひび割れ、カメラが引くと、それは乾ききった大地でした。カメラは大地の上を回り込みながら上がっていき、真上に着いたところで、新しい地割れが字の輪郭に沿って走り、「渇き」「Thirst」と書いていきます。ひび割れの模様はボロノイ分割です。

本編と同じ仕組み
本編と同じ仕組み

水場へ向かう群れ、追う者と逃げる者1:49–2:32

ひび割れた大地を草食獣の群れが一つの流れになって走る
2:00群れが一本の流れになって水場へ
草原で豹がガゼルを追い、背景だけが流れる
2:20二匹は画面の同じ位置から動かず、背景だけが流れる

群れは、水場へ向かう一本の経路に、一頭ずつ少しずつ違う横のずれと速さを与えて動かしています。近くの仲間を見て向きを合わせる「群れ」の規則(フロッキング)や、流れの場(フローフィールド)は計算していませんが、見た目はそれらを参考にしました。追う者と逃げる者の場面では、二匹を画面の同じ位置に固定して、背景の層だけを違う速さで流しました。逃げる者が速くなると追う者も速くなり、二匹とも前に進まない。これが第5章の「赤の女王」の伏線になります。

見た目の参考
見た目の参考
本編と同じ仕組み
本編と同じ仕組み

欲しいと、好き2:46–3:42

暗い脳の中で神経の木が枝分かれし、赤い太い枝が伸び、先端で光る
3:20伸び続ける太い枝が「欲しい」、一瞬だけ光る点が「好き」

獣の目の奥へ寄って抜けると、脳の中です。一本の神経が描かれていき、拍ごとに枝を伸ばします。思っていたより良いことが起きると、枝の先で火花が散ります。渇きは「この火花は『気持ちいい』の印ではない」と語ります。ドーパミンの信号は、快楽そのものより、予測とのずれ(報酬予測誤差)を知らせ、学習と「また求める」動機に関わる、という研究にもとづいています。

続いて、神経科学の「欲しい(wanting)」と「好き(liking)」は別の仕組みだ、という研究を形にしました。「欲しい」は太く、どこまでも伸び続ける枝。「好き」は、味わった一瞬だけ光ってすぐ消える、小さな点です。ここで先ほどのアタックとリリースが効いてきます。

本編と同じ仕組み

前に出た標本:ラインアニメーション

赤い地に豹柄の獣と、その下の細長い影
3:55虫、魚、鳥、獣と、拍ごとに生き物が着替える。影には餓鬼の形が一瞬だけ重なる

章の終わりでは、虫・魚・鳥・獣の皮膚の模様が、拍ごとに次の生き物へ着替えていきます。模様は、生き物の斑や縞を生む反応拡散を思わせるものを、三角関数を組み合わせた式で簡略に描いています。それぞれの影には、喉が細く腹の膨れた餓鬼の形が一瞬だけ重なります。

見た目の参考

第2章真似る猿 ― Mimesis

手形の群れと、真似の波4:28–5:11

赤土の洞窟の壁に、白い手形の群れが「真似る猿」の字を作る
4:47手形の群れが、互いの向きを真似て「真似る猿」になる

第1章の最後で、神経の木が一本の糸にほどけ、洞窟の壁に手の輪郭を描きます。そこに赤土が吹きつけられて手形になり、隣にもう一つ、またもう一つと増えていきます。手形は互いの向きを真似て、群れのように同じ方向へ動き出し、章題になります。同じ向きに動く物は一つのまとまりに見える、というゲシュタルトの「共通運命」を使っています。

この章のテーマは、哲学者ルネ・ジラールの「模倣の欲望」です。人は物そのものではなく、他人が欲しがっている物を欲しがる。浜辺の場面では、足もとに貝殻が無数に転がっているのに、二人の猿人は、片方の首にかかった一つの貝殻の飾りだけを見つめています。

本編と同じ仕組み
本編と同じ仕組み

拍で着替える手5:48–6:20

桃色の地に描かれた、手招きする手
6:05手招きを続けたまま、拍ごとに時代の様式だけが替わる

一本の手が手招きの動きを続けたまま、拍の頭ごとに様式だけが替わっていきます。洞窟壁画、土偶、壺の絵、浮世絵、新聞の網点、ピクセルアート、広告。どの時代でも、手は同じ物を指しています。形は連続したまま、拍の頭で見た目だけが入れ替わるので、目は動きを追い続けられます。

見た目の参考
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真似の真似の真似6:20–6:57

手形の並ぶ壁が、奥へ無限に続く廊下になっている
6:40前のコマを少し縮めて重ねると、手形の廊下が奥へ続く

手形を真似る手形を、さらに真似る手形。画面の中に画面が入れ子になり、奥へ無限に続く廊下になります。これは映像フィードバックで、前のコマの画像を少し縮めて回し、今のコマに重ねています。奥へ行くほど少しずつ形がずれ、色が濃くなるのは、重ねるたびに色をわずかに変えているからです。

本編と同じ仕組み
金色の地に、麦の穂の形になった手
7:24手招きする指の揺れが、麦の穂の揺れにそろう

章の最後は、手招きする指の動きが、風に揺れる麦の穂の動きにそろって、そのまま穂になります。動きの周期と画面の位置を前後でそろえる、形合わせのつなぎ(マッチカット)です。

第3章余り ― Surplus

金箔の屏風と、藁の字7:29–7:49

金箔の地に、藁を食む牛と、藁が並んでできた「余り」の字
7:48牛が食べ残した藁が「余り」の字に残る

農耕が始まり、食べきれない「余り」が生まれた章です。絵は、金箔の地に平たい色面で描く琳派の屏風のような構図にしました。藁を食む牛の横で、食べ残された藁が「余り」の字の形に残ります。字は1,500本の藁を字の面の中に並べ、それぞれを字画の流れの向きにそろえて作っています。

見た目の参考
本編と同じ仕組み

黄金角の麦7:49–8:13

渦を巻くように並んだ麦の穂の畑に立つ人
8:00穂は黄金角(約137.5°)ずつずらして並べている

麦畑の穂は、ひまわりの種と同じ、黄金角ずつずらした配列で並べています。中心から外へ渦が何本も見えるのは、この配列の性質です。数千本の穂を一本ずつ作ると重いので、同じ形をまとめて描くインスタンシングを使っています。

本編と同じ仕組み
本編と同じ仕組み

銭が生まれ、塔になる8:46–10:29

金の地に、四角い穴のあいた金色の銭と、穴へ吸い込まれる物
9:05物が銭の穴に吸い込まれ、別の物が出てくる
金色の銭が積み上がって、空へ伸びる塔になる
10:05銭の塔と、そのまわりを回る人々

金の字「余り」が溶けて鋳型に流れ込み、四角い穴のあいた丸い銭になります。麦の束、牛、布、壺が、銭の穴に吸い込まれては、別の物になって出てきます。銭が銭を生み、列がゆるやかに上へ反って、指数の曲線になり、やがて塔になります。手前の人々、塔、金の地を別々の層にして奥行きを出しています。最後は塔のてっぺんの銭の穴へ寄って抜け、工場へ入ります。

前に出た標本:マルチプレーン / BOOK重層撮影(書き割りレイヤーの奥行き) ズームトランジション

第4章大いなる富 ― The Great Enrichment

平行投影の工場と、ほどける GDP の曲線10:29–10:58

暗い工場の中で、大小の歯車が噛み合っている
10:33歯車は拍で一歯ずつ回る
赤と黒の斜めの帯の前に「大いなる富」「The Great Enrichment」の字と煙突
10:56曲線がほどけて字になり、字が煙突になる

銭の穴を抜けると、暗い工場です。工場は遠近のない平行投影(アイソメトリック)で描き、大小の歯車がファンクの拍で一歯ずつ回ります。歯車は、歯の大きさ(モジュール)をそろえないと噛み合って見えません。前作で学んだことです。

工場の壁に、世界の1人あたり GDP の曲線が一本の線で描かれていきます。データは1820年から2022年まで(Maddison Project Database)で、はじめはゆるやかに、20世紀の後半から急に立ち上がります。経済史家マクロスキーは、この豊かさの急な伸びを「大いなる富裕化(The Great Enrichment)」と呼びました。描き終わった線が端からほどけて、章題を書きます。書き終わると、字の後ろから工場の煙突が立ち上がり、煙を吐きます。

本編と同じ仕組み
見た目の参考
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減った貧しさ、延びた寿命と、幸福メーター11:27–12:25

赤い線が下がり、水色の線が上がって交差するグラフ
11:40極度の貧困の割合(赤)と平均寿命(水色)。Our World in Data の実データ
洗濯機の届いた部屋と、右上の半円の幸福メーター
12:10針が落ち着くあいだに、目盛りの方が回る

この章では、資本主義の功の側も、実データで描きました。極度の貧困の割合は上から下へ落ち(1820〜2018年)、平均寿命は下から上へ伸びます(1800〜2023年)。数字の目盛りは出さず、二本とも、それぞれの幅で形だけを見せています。渇きはこれを「わたしと資本主義の、最高の仕事だった」と誇りますが、医療や公衆衛生など、ほかの力も大きく働いています。ここは語り手の自負として聞いてください。

ここで、全編に出てくる「幸福メーター」が初めて登場します。半円の目盛りと一本の針で、実際の何かを測る計器ではなく、考え方を形にした概念のメーターです。洗濯機が届くと針は大きく振れ、数秒かけて元へ落ち着きます。そのあいだに、目盛りの方が回っていきます。針は同じ位置に戻っても、目盛りがずれているので、もう同じ数字を指してはいません。手に入れるたびに基準が動く、という作品の主張を、一つの部品にしたものです。針の振れはばねのように揺れて収まる動き(スプリング)、目盛りの回転はゆっくり加速してゆっくり止まるイージングです。

本編と同じ仕組み
本編と同じ仕組み

機械の祝祭12:38–13:15

赤と黒の斜めの構図の工場で、ベルトコンベアの前の人々がポーズを決める
12:554小節ごとに5つのカットへ。ベルトコンベアの前で、人と機械が同じリズムで動く

工場の中で、機械と人が同じリズムで動きます。ロシア構成主義のポスターのような、赤と黒の斜めの構図です。最初は一つの引きの画で作りましたが、37秒もあり単調だったので、4小節ごとに5つのカットに割りました。引き、ベルトコンベア、下から見上げたポスター、一人の労働者の寄り、そして群衆と煙突が見える平行投影の引きです。カットは拍の頭で、動作の途中で切り替えています(アクションつなぎ)。一人だけ半拍遅れて動く人がいます。

見た目の参考
本編と同じ仕組み

曲線の裏側13:44–14:00

右肩上がりの坂は、人々が上へ走る下りのエスカレーターだった
13:50右肩上がりの曲線は、横から見ると下りのエスカレーター

章の最後は、GDP の曲線と同じ右肩上がりの、立体の坂の画です。カメラが横へ回り込むと、坂は下りのエスカレーターで、その上を人々が上へ向かって全力で走っています。人々は同じ場所から動きません。回り込んだら別物だった、という見せ方です。

本編と同じ仕組み

前に出た標本:オービット

第5章赤の女王 ― The Red Queen

流れるチェス盤14:00–14:38

白黒の市松模様の盤の上に、赤い「赤の女王」の字が浮かぶ
14:33市松のマスのうち、字の中のマスだけが赤く、真上から「赤の女王」と読める

『鏡の国のアリス』の赤の女王は「同じ場所にとどまるためには、全力で走り続けなければならない」と言います。進化生物学では、競争相手と共に進化し続けないと生き残れないことを「赤の女王仮説」と呼びます。

場面は、後ろへ流れ続ける白黒の市松模様の盤に切り替わります。盤の上には、マスを赤く塗った「赤の女王」の字があります。字は床に固定してあり、市松だけが流れていきます。カメラがクレーンで真上まで上がると、字が正面から読めます。遠近のついた盤が流れていくのは、映画のオープニングの字幕のような、奥へ流れる遠近のロールです。白黒の細かい市松はオプアートの見た目にもつながります。

本編と同じ仕組み
見た目の参考

富は富を呼ぶ、降りられない14:38–15:30

暗い地に散らばった粒のうち、一部だけが大きく膨らんでいる
14:55一部の粒だけが周りの粒を吸い込んで巨大化し、最後に上位1%の富の割合の帯になる

チェスの駒が一つずつ粒になって散らばり、一部の粒だけが周りの粒を吸い込んで巨大化していきます。粒どうしを引き寄せる力(引力)で動かし、最後は実データの帯グラフ(2021年、世界の成人の純資産のうち約4割を上位1%が持つ)として整列させます。走る人々の後ろでは床が崩れ、立ち止まった会社のビルや国の地図が、前を走る者に飲み込まれていきます。

見た目の参考
本編と同じ仕組み

渇きとの対話(1回目)15:38–16:23

札の柱の並ぶ暗い森を、ひとりと、赤い糸でできた渇きが並んで走る
15:50ひとりと渇きが並んで走る

ここで初めて、主人公の「ひとり」と語り手の渇きが言葉を交わします。渇きは、赤い糸でできた体に、口だけがついた姿です。

並んで走る二人を描くときは、二人の左右の位置関係を保ち(180度ルール)、進む方向の前に空間を空けました(ルックルーム)。背景がめまぐるしく変わっても、二人がどこにいるのか見失わないためです。

本編と同じ仕組み
本編と同じ仕組み

いちばん似合う服16:23–17:30

白黒の渦の地の下で、緑の地面の上を人々が走る
16:40拍の頭で地面が一段ずつ崩れ、走る影が餓鬼の形に伸びていく
札をつぎはぎした袖口を、もう一方の手が引いている
17:12拍の頭ごとに袖を引いても、脱げない

章の終わりでは、走る人々が札をつぎはぎした服を着ています。「似合いすぎて、もう脱げない。」という台詞の少し前から、袖を脱ごうとする手の大写しになります。左手が拍の頭ごとに札の袖口を引きますが、袖は脱げません。手は描いた静止画の層で、袖の絵ごと拍に合わせて引いています。その手の中で、スマートフォンの画面が光り、第6章へ入ります。

本編と同じ仕組み

前に出た標本:コマ落とし / ポスタライズタイム

第6章超正常刺激 ― Supernormal

光の明滅について:第6章には強い色の切り替わりが続く区間があります。画面全体の明滅は1秒に3回以内に抑えています。最終版のコマを簡易に測ったところ(画面全体と4分の1ずつの領域で、相対輝度と赤の明滅を数えたもの)、最大で輝度は1秒に1回、赤は1秒に2回でした。色の切り替えは、なるべく明るさを上下させずに色相を回すようにしています。

偽物の卵17:30–18:15

スマートフォンの画面の中で、青い鳥が自分より大きな水玉の偽の卵を抱いている
17:47鳥が抱いているのは、自分より大きく鮮やかな偽の卵。「いいね」の数字が増え続ける

動物行動学者のティンバーゲンらは、鳥が本物の卵より大きな偽の卵を好んで抱こうとすることを観察しました。本物より強い刺激を「超正常刺激」と呼びます。作中の水玉模様の巨大な卵は、それを誇張した演出です。画面の中で、鳥は自分の体より大きな水玉模様の偽の卵を抱いています。卵の表面の「いいね」の数字は、文字がランダムに入れ替わりながら増え続けます。12小節目の頭で卵が割れ、中から章題が飛び出します。

本編と同じ仕組み

前に出た標本:スクワッシュ&ストレッチ

増える画面と、型はひとつ18:15–19:30

橙の地に、渦や水玉を流す縦長の画面が横に並ぶ
18:30ドロップのたびに画面が倍に増える(最大16枚、最後は24枚)

縦長の画面が、曲のドロップのたびに二枚、四枚、八枚と倍に増えていきます。画面の中の映像は、別に描いた絵を画面の板に貼る「画面の中の画面」で作っています。画面の色は、ポップアートの平たい原色と網点です。

いくつかのドロップでは、画面全体を2コマだけ白黒反転させています(インパクトフレーム)。強い効果なので、使うドロップを選び、間隔を2.7秒以上あけました。

見た目の参考
本編と同じ仕組み

前に出た標本:ハーフトーン

並んだ画面の前に大きな幸福メーター
18:50目盛りはどんどん速く回るが、針はほとんど動かない
赤い地に五枚の縦長の画面。花火、怒る口、料理、災害、涙の目
19:15中身は違っても、五枚とも同じ編集の型で動く

幸福メーターがまた出てきます。目盛りの回転はどんどん速くなり、回る目盛りはモーションブラーでにじみますが、針はほとんど動きません。

続いて、縦長の画面が五枚、横に並びます。感動、愛国、怒り、食べ物、災害。中身は違っても、五枚ともまったく同じ編集の型で動いています。溜めて、泣きの旋律、スローモーション、字幕の強調、拍手。拍の頭で五枚の中身が一斉に隣へずれていきますが、型は同じリズムで続きます。批判しているのは中身の側の人ではなく、刺激を量産する仕組みのほうです。

ここで渇きは「感動のポルノ。愛国のポルノ……」と並べます。「感動ポルノ」はもともと、障害のある人を周りの人の感動の材料にすることを批判した、Stella Young の言葉(inspiration porn)です。本作では、それを刺激の消費一般を描く比喩として、意味を広げて使っています。

見た目の参考
本編と同じ仕組み
本編と同じ仕組み

ところで20:06–20:31

暗い地に、放射状の模様を映した一枚の画面だけが止まっている
20:20音楽が完全に止まり、画面も止まる

この作品でいちばん大事にした瞬間です。174 BPM に上がり、1小節ごとにドロップが来て、画面は最も派手になっていきます。そして109小節目の頭で、音楽が完全に止まり、画面も止まります。止まってから3秒は何も起きません。そのあとで、渇きが言います。

いま、早く続きが来てほしいと、思っただろうか。渇き(06-08)

最初は止まってすぐに台詞が入っていましたが、試写で「おや?」と思う間が足りないと感じ、無音の区間を延ばしました。ここだけは技法の標本を置きません。何も起きない3秒が、この章の技法です。

最大の刺激20:31–21:29

6列の縦長の画面が、上へ流れ続ける
20:31① 画面の洪水
網点のコマが6枚並び、それぞれに涙の目や怒った口
20:38② ポップアートのコマ
笑う顔のある花が画面を埋め尽くす
20:45③ 笑う花畑
銀の玉が回転木馬のように回る
20:52④ 銀の玉の回転木馬
格子の床の地平に縞の夕日、浮かぶ画面と銀の玉
20:59⑤ ヴェイパーウェイヴの地平
画面、花、銀の玉が重なって渦を巻く
21:06⑥ 全部が重なる

音楽が戻ると、語りのない最大の刺激の区間です。最初は、画面、花、銀の玉を全部一枚に重ねていましたが、41秒も同じ構図が続いて飽きてしまったので、5小節(約7秒)ごとに6つの世界へ着替えるようにしました。画面の洪水、ポップアートのコマ、スーパーフラットの笑う花畑、Y2K の銀の玉の回転木馬、ヴェイパーウェイヴの地平、そして全部が重なる世界です。切り替えは小節の頭です。どの世界も、7秒の中で物の数・大きさ・速さが増えていき、世界が進むほど拍への反応も大きくなります。平らだった41秒に、上り坂を付けました。

画面全体は、拍とドロップに合わせて膨らみます。音を解析して反応させているのではなく、曲と同じテンポマップの拍とドロップの時刻から、膨らみ方を決めています。最後の2小節で中央の画面へ寄っていき、そのまま次の場面の縦長のフィードの帯へ移ります。帯は上へ流れ続け、端と端がつながって輪になり、回し車になります。

緑の地で、縦長のフィードの帯が丸まっていく
21:20フィードの帯が丸まって、回し車になる
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前に出た標本:ポップアート ビートパルス アクションつなぎ / 動作つなぎ

第7章回し車 ― The Hedonic Treadmill

止まって見えるスポーク21:29–21:45

赤い地で回る青い回し車のスポークの間に「回」「し」「車」の字が止まって見える
21:38車は回り続けているのに、スポークの間の字だけが止まって読める

映画で馬車の車輪が止まって見えたり、逆に回って見えたりする現象を、ワゴンホイール効果と言います。1コマの間に車輪がちょうどスポーク1本分回ると、どのコマでも同じ絵に見えるからです。

この章題は、それを逆算して作りました。12fps のコマ打ちなら、1コマごとの回転を「スポークの角度の整数倍+小さなずれ」にすると、見えるのはずれだけになります。ずれだけを動かして、小節5の頭でずれを0にすると、高速で回っている車のスポークの間で「回し車」の字がぴたりと止まって読めます。止まる前後はモーションブラーで、本当は速く回っていることを伝えています。

前に出た標本:コマ打ち / 可変リミテッド作画 モーションブラー

元の近くへ戻る針21:45–22:57

紙吹雪の舞う人と、足もとに影の落ちた人、それぞれの頭上の幸福メーター
22:00宝くじの当選と大きな不運。針は反対に振れ、やがて元の近くへ戻る
点が右上へ行くほど頭打ちになる散布図と、まっすぐ上がる赤い線
22:25143か国の所得と人生の満足度(2024年)。赤は比例した場合の比較の線、水色は当てはめた曲線

一人の頭上からは紙吹雪(宝くじの当選)、もう一人の足もとには暗い影(大きな不運)。二人の幸福メーターの針は大きく反対に振れ、季節が巡る背景とともに、ゆっくり元の近くへ戻っていきます。良いことにも悪いことにも人は慣れていく、という「快楽の踏み車」の研究を形にした場面です。ただし、古典的な宝くじの研究(Brickman ら、1978年)は当選者とそうでない人を比べたもので、のちの研究では当選で満足度が長く上がることも報告されています。渇きも「すべてが元に戻るわけではないけれど」と付け加えます。

続く散布図は、2024年の143か国を比べた実データです。横軸が1人あたり GDP、縦軸が人生の満足度で、豊かな国ほど満足度は高くなります。赤い線は「所得に比例して上がるとしたら」の比較の線で、実際の点に当てはめた水色の曲線(所得の対数に比例)は、右へ行くほど上がり方がゆるやかになります。

本編と同じ仕組み

前に出た標本:スプリング

対話(2回目)と、並ぶ回し車23:05–24:29

緑の地で回し車の中を走るひとり
23:30台詞のたびに、話し手の寄りへ切り返す
緑の地を、無数の回し車が格子状に埋め尽くす
24:05引くほど回し車が増え、画面を埋め尽くす

回し車の中を走るひとりと、車の外側にしがみついて一緒に回る渇き。最初は一つの画角のままでしたが、単調だったので、台詞のたびに話し手の寄りへ切り返すように直しました。背景は8小節ごとに、同じ順番で同じ景色に戻ってきます。ただし戻るたびに、色相が少しずつずれています。

対話が終わると、カメラがゆっくり引いていきます。ひとりの回し車の上下左右にも回し車が並び、どの車でも誰かが走り、外には渇きがしがみついています。引くほど数が増えて画面を埋め尽くし、色は少しずつ抜けていきます。最後に真ん中の車へ寄り直して、次の章へつなぎます。

本編と同じ仕組み

前に出た標本:映像フィードバック

深い藍の地で、回し車の輪の中に区画が描かれはじめる
24:25回し車の輪の形と回転を保ったまま、六道輪廻図の輪になる

第8章業 ― Karma

尾を噛む三匹24:29–24:59

六つの区画に分かれた輪の中心で、金の「業」の字
24:52鶏・蛇・豚の体がねじれて、「業」の字画になる

回し車は、そのまま六道輪廻図の輪になります。六道輪廻図の中心には、貪り・怒り・無知の「三毒」を表す鶏・蛇・豚が、互いの尾を噛んで回っています。三匹の体がねじれ、絡まり、字画になって「業」と読めます。絵は平たい彩色の仏画の様式で、写真は使っていません。仏教の図像は、敬意をもって比喩として引用し、形を作り直しています。なお、「業」は変えられない運命という意味ではなく、行為が次の行為を呼ぶ連鎖の比喩として借りています。

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前に出た標本:モーフィング

膨らみ、弾ける泡と、異時同図の絵巻24:59–26:00

暗い地に、虹色の薄膜の泡が無数に浮かぶ
25:10どの泡がいつ弾けるかは、拍と無関係
金の雲の絵巻に、煙突、穴あき銭、猿人が同時に描かれている
25:40これまでのすべての「口」を、一枚の絵巻に

輪の外へ出ると、無数の泡が膨らんでは弾けます。泡の表面に、球根、船、株価の線、画面の光が映ります。チューリップ・バブルから現代までの投機の泡です。泡の薄膜の虹色は、シャボン玉と同じ薄膜干渉の色です。この章だけは、泡の弾ける時刻を拍から外しました。全編を拍に合わせてきたので、拍と無関係に起きることが「予測できない」ことの表現になります。

続いて、一枚の長い絵巻の中に、これまでのすべての「口」が同時に描かれています。最初の細胞の口、乾いた大地、貝殻を見る猿人、銭の穴、工場の煙突、走る人々、偽の卵、回し車。一枚の絵の中に、時間の違う出来事を並べる「異時同図」です。カメラが絵巻を右から左へ流れていきます。

本編と同じ仕組み

前に出た標本:イリデッセンス / 薄膜干渉(構造色)

輪の中の輪、穴から引く26:06–26:59

六道輪廻図の輪の中に、小さな輪が入れ子になっている
26:15輪の中に輪、その中にまた輪
暗い地に、四角い穴のあいた丸い銭
26:50引いていくと、輪の中心の穴は穴あき銭の四角い穴だった

六道輪廻図の輪の中に、もう一つの小さな輪、その中にまた輪。輪が輪を生み、どこまでも続く無限ズームです。同じ形が入れ子になる自己相似(フラクタル)を、ズームの速さと縮尺をそろえて継ぎ目なくつないでいます。最後に、中心の三匹が回る速さを落とし、小さな穴だけが残ります。カメラが引いていくと、その穴は四角く、穴のまわりは丸い。第3章の穴あき銭でした。

本編と同じ仕組み

前に出た標本:フラクタル / 自己相似構造

終章足る ― Enough

吾唯足知26:59–27:39

石のつくばい。四角い水穴のまわりに五・隹・疋・矢が彫られ、水面に一本の糸が落ちる
27:30中央の四角い水穴を「口」として共有し、「吾唯足知」と読む

穴あき銭が、石の質感に変わっていきます。四角い穴に静かに水が満ち、銭形は石のつくばいになります。龍安寺のつくばいは、中央の四角い水穴を「口」として、上下左右の「五・隹・疋・矢」と組み合わせ、「吾唯足知」と読ませる意匠です。全編のモチーフの「口」は、ここに着地します。水面の光の揺らぎはコースティクス、つくばいのまわりには大きな余白を残しました。

上から、全編を描いてきた一本の糸がゆっくり落ちてきて、水面に触れます。糸は水面でほどけ、細い湯気になって立ちのぼります。

本編と同じ仕組み
本編と同じ仕組み
本編と同じ仕組み

朝の食卓27:39–29:31

明るい卓の上に、ご飯、味噌汁の汁椀、漬物
27:55幸福メーターの半円が裏返って、汁椀になる。針はもうない
ひとりが両手で汁椀を持ち上げ、味噌汁をすする
28:45少しぬるくなった味噌汁をすする

湯気の向こうで、幸福メーターの半円がゆっくり裏返り、器の形になります。器は汁椀になり、味噌汁が注がれ、縁まで満ちます。針はもうありません。引いていくと、朝の食卓。卓の上はご飯と味噌汁と漬物の一汁一菜です。

ここからは固定の長回しです。この章だけ、色は現実に近い朝の光にしました。窓の外の土手の道を、ときどき通勤の人が走って通り過ぎます。川の向こう岸の工場も、朝の光の中で静かに動いています。止められないものは止まらないまま、ひとりは、少しぬるくなった味噌汁をすすり、汁椀を置きます。光がゆっくり卓の上を移り、画面が朝の光で満ちて、白へ溶けていきます。

本編と同じ仕組み

前に出た標本:モーフィング 長回し / ワンカット(シークエンスショット)

エンドクレジットは、終章が溶けていく白と同じ地に、墨色の文字で出しました。黒い地にすると、白から黒へ変わる瞬間に画面全体が一度に明滅してしまうからです。

04ひとりの食卓

全編を通して、各章に一度ずつ、同じ食卓が数秒だけ挟まります。いつも同じ構図、同じ画角です。声も生活音も付けていません。卓の上の物と窓の外の景色だけが、章ごとに少しずつ変わっていきます。窓の外では、川の向こう岸の空き地に、器が増える第3章から工場が建ちはじめ、動きだし、大きくなって、やがて向こう岸を埋め尽くします。

一汁一菜の食卓
第1章 一汁一菜
一汁一菜。窓の外の隣の家に明かり
第2章 隣の家の明かり
器が一つ増えた食卓
第3章 器が一つ増え、向こう岸に工場の足場
炊飯器、トースター、ラジオの並ぶ食卓
第4章 家電が並び、工場が動きだす
窓の外を人々が走る
第5章 工場の前の道を人々が走る
光る画面が何枚も並ぶ食卓
第6章 光る画面、大きくなった工場
物が卓を覆う
第7章 物が卓を覆い、煙が空を覆う
物に埋もれ、汁椀の縁だけが見える
第8章 汁椀の縁だけ
現実に近い朝の光の、一汁一菜の食卓
終章 一汁一菜。朝の光の中の工場

この食卓は、gpt-image-2 で描いた絵を、部屋、卓、器、手のように層に分けて重ねています。描き直すときは画像の編集機能を使い、「器だけを替えて、ほかはそのまま」という指示で、配置がずれないようにしました。第6章では、画面の面だけを切り抜いた層を作り、そこに拍ごとに色を流しています。

窓の外は、はじめは部屋の絵の一部として描いた湖でした。ただ、窓の外を人が走る場面で、人が窓枠に一部重なってしまいました。人が足をつく地面もなく、宙に浮いた人を窓の下枠で隠すしかありませんでした。そこで窓の外を、はめ込み合成できる別の絵に分けました。部屋の絵の窓ガラスは、四隅を測った多角形でくり抜いています。その奥に、別に描いた川辺の景色を置き、外を走る人は手前の土手の道の上を走らせました。湖を川にしたことで、向こう岸に工場を建てる余地も生まれ、卓の上の変化と、窓の外の変化を重ねられるようになりました。

景色は、空き地の川辺を1枚描き、そこから画像の編集機能で「同じ構図のまま、向こう岸に工場の足場を」「工場が向こう岸を埋める」と段階を作っています。煙は絵には描かず、煙突の先から膨らみながら流れる丸い煙を、3D の側で動かしました。終章は同じ景色の朝の版で、工場は残ったまま、細い湯気だけが上っています。

最初の版では、終章の卓に水の入った器だけを置いていました。ただ、それだと「欲を捨てて質素に」という話に見えてしまいます。欲しいのは禁欲ではなく、ちょうどいいところで満ちることなので、最初と最後を同じ一汁一菜にそろえました。第1章で見た食卓と終章の食卓は、物としては同じです。違うのは光と、見ている側です。

05音と声

音楽と効果音は、すべて Python のコードで合成したオリジナルです。テンポマップから曲を作るので、尺を直すと曲も作り直せます。第6章で無音の区間を延ばしたときも、テンポマップの小節数を変えて、曲を作り直しました。

声は、渇きとひとりの全90行を Gemini TTS(Google)で生成しました。渇きは陽気で、親切で、少し近すぎる声。ひとりは平熱で素朴な声です。台詞の大きさは、一行ずつ平均の大きさ(RMS)でそろえ、台詞の間は曲を約0.4倍に下げています。公開用の音量は −15 LUFS です。YouTube の基準の −14 LUFS まで上げると、ピークが限度を越えるため、1 dB の余裕を取りました。

英語字幕もつけています。日本語と同じタイミングで、全90行を訳しました。

06題字を膨らませる(サムネイル)

回し車の地に、つやのある赤い風船の題字。画面の左右からはみ出している
途中の案:フォントの輪郭から膨らませた風船の題字を、映り込みのある材質で撮ったもの

サムネイルの題字は、前作の色収差とグリッチから変えたいと思い、「肥大する」という言葉から、字が風船のようにパツパツに膨らんだ表現にしました。最初は画像の加工で字を太らせて陰をつけましたが、どれも安っぽく見えたので、字を本当に立体にして膨らませることにしました。

  1. opentype.js で書体の輪郭を取り、少し太らせる
  2. 字の内側で、膜を内から押す圧力の釣り合い(ポアソン方程式)を解く。太い画ほど高く膨らみ、縁では膜が立ち上がる、風船の断面になる
  3. 太らせて隣の画とくっついたところは低くして、押し合ってできるしわにする
  4. 1字ずつ別の風船にして少し傾け、字間を詰めて重ねる。画面の左右からはみ出させる

はじめは、映り込みのある PBR の材質で撮りました(上の画像)。立体としてはこれで十分でしたが、本編の世界観に合わせて、最後はトゥーンで描き直しています。色のついた3段のベタ塗り、縁のはっきりした白いハイライト、そして墨の主線です。主線は、深さと面の向きの画像から、字の外形と重なった字の境目だけを拾っています。しわにまで線を引くと、線のゴミが散ってしまったからです。最後に、本編と同じ粒子をかけて背景となじませました。

本編と同じ仕組み
見た目の参考

前に出た標本:トゥーン / セルシェーディング

採用したサムネイル:トゥーンで描いた赤い風船の題字
採用したサムネイル。本編と同じセル調に描き直した

07振り返り

技法は、意味と組にして使う

今回は、使う技法を最初から FRAME ATLAS の ID で絵コンテに書き込みました。名前がはっきりしていると、私と Claude Code の間で「あの感じ」が通じやすくなります。ただ、いちばん効いたのは、技法を意味と組にしたときでした。真上からだけ読める字は「見る位置が決まると意味が揃う」、止まって見えるスポークは「本当は速く回っている」、拍と無関係に弾ける泡は「予測できない」。技法そのものより、技法が何を言っているかを考える時間が長かったと思います。

人の動きは、3D より描いた絵

人や動物を 3D の関節で組むと、どうしても人形に見えました。途中で、描いた静止画を層に分けて重ねる方法に切り替えたのが、見た目の上でいちばん大きな転換です。走りのコマは、最初は腕の振りがどのコマも同じで、走っているように見えませんでした。半歩ずつの絵を2枚描き、腕の振りまで指定して8コマに分けて、やっと走りになりました。

確認は、コマを並べて目で見る

Claude Code には、直したらその場面のコマを数枚書き出して並べ、目で見てから「済み」にする、という決まりを最後まで守ってもらいました。数値ではそろっていても、見ると違うことが何度もあったからです。逆に、AI(Gemini)に音の聞き比べをさせたときは、A と B の名前を入れ替えただけで判定が逆になりました。台詞と曲の釣り合いは、最終的に、それぞれの大きさを測った数値をもとに決めています。

数字で見る

尺29分31秒(エンドクレジットを含めて30分27秒)、10章
ショット77(絵コンテ)
コマ43,855(24fps、絵の動きは12fps)
台詞90行(渇きとひとり、Gemini TTS)
テンポ60〜174 BPM
ルック開発v01〜v10
この記事の標本69 種

08出典と参考文献

データ

  • 1人あたり GDP(1820〜2022年):Bolt & van Zanden (2024), Maddison Project Database 2023(Our World in Data 経由、CC BY 4.0)
  • 極度の貧困の割合(基本的な必要の費用による、1820〜2018年):Moatsos (2021)(Our World in Data 経由)
  • 平均寿命(1800〜2023年):Riley (2005); UN World Population Prospects (2024); Zijdeman et al. (2015)(Our World in Data 経由)
  • 所得と人生の満足度(2024年、143か国):World Bank (2025), GDP per capita PPP; World Happiness Report (2025), Cantril ladder(Our World in Data 経由)
  • 上位1%の富の割合(2021年、世界の成人の純資産):Chancel, Piketty, Saez, Zucman et al., World Inequality Report 2022

研究・本

本編は、これらの研究やデータを手がかりに欲望の歴史を一つの物語として描いたもので、出来事のつながりや研究の紹介、語りの言い切りには、演出上の省略・単純化・比喩が含まれます。